メンヘラ備忘録

逆コナンのメンヘラが日々感じたことを綴っていきます。

クソ鬱週間を抜けて

こんばんは。メンヘラです。手首切ったりとかはしないよ。痛いのは嫌い。

 

今週は私にとって地獄だった。

躁鬱病の鬱か、はてさてADHD気分障害の一環か……ともかくやる気や生きる気力が著しく低下していた。スマホを片手に布団と友好を深めたり、授業も体調不良を理由にサボった。

私は体調不良のほかにメンタル不良で講義を自主休講する。このメンタル不良は月一ぐらいのペースで起こり、そのたびに休んでいい回数を計算に入れて、「よしまだ休めるぞ」みたいな感覚で休むのだ。

とはいえ、休む時は後先考えず休むことが多い。前日に友達も休んでいたからと。つられて休んでしまう、いや、口実に休んでしまうことがある。

なにかと理由を付けて正当化させてしまうのは非常によくない。

 

ところが、休めば気が楽になるかといえば、結局は家でネットサーフィンするか録画したアニメを消費するかで時間を浪費して、自己嫌悪に陥るのは見え見えだ。挙句の果てには、それらの行為に飽きて寝てしまう。

 

経験上、休みたいときには、学校に行った方が楽だということは分かっている。とても気が変わりやすくて流されやすい性分が故に、「嫌だ嫌だと思ったけど、やってみたら案外楽しかった」というような経験は身に覚えがある。

自信をつけるのにも、嫌な思いをぐっとコラえて、「嫌だったけど学校に行けた」成功体験を積む方がよっぽど有意義だ。

 

それなのに、逃げてしまうのは鬱期のメンタル不調だけではなく、もともと「嫌なこと」ではなく、「嫌なことに立ち向かうこと」を過剰に恐れている、ストレスに感じているのだろう。とんだ甘ちゃんだ。

自分一人だったら、いくらでも逃げればいいし、逃げてきた。ところが今週はそうもいかなかった。人と会う約束と、ゼミの中で発表当番がまわってきたのだ。

さすがに逃げの小太郎との異名を持つ私でも、他人が絡むことからはよほどのことがないと逃げられない。

他人に迷惑をかけることは何よりも怖い。失望した、苛立った表情がトラウマだ。親にもミミタコで教えられてきた。

 

クソ鬱週間は、抱えている予定に関係なくやってくる。「ハイハイクソ鬱週間来ますよー!」と事前にアナウンスを入れてくれ。切に。覚悟しておくから。

 

そんなクソ鬱週間の中での気づきを書き出していく。

  • 差し入れを渡すときは、どういう意図なのかはっきりさせる。
  • 私は仲良くなりたい、尊敬している人の前だと、上手く話せない。
  • 二人以上の知り合いの中に入るのが苦手。(あまり親しくない)
  • 興味の幅が狭い。
  • 自分で受け持つコーナーは自分で進行する
  • 全て自分が反応するつもりで会話を聞く
  • 会話は言葉の厳密さよりも流れで進んでいく
  • 自分が話しかけた時に、相手が無反応なのが怖い
  • 私の自分ルールは厳しいのかもしれない

 

当たり前やろ!ということもあるだろうが、視覚化すると忘れないでいいね。

 

私は圧倒的に言葉が足りないので、何か人に行動を起こすときに、一言添えることを忘れないようにしたい。(差し入れを渡すときに、個人宛なのか団体向けなのか等)

 

相手が他の誰かと話しているときは、無視(スルー)されるのが怖くて、近くにいても話しかけないことが多い。たとえ友達であっても。このへんの無視を恐れる心理の解明が、円滑な人間関係の構築に一役買うのではないかなあ…次回に期待。

 

今週の収穫は、会話での笑いの取り方がなんとなく分かったこと、クソ鬱週間ながら役割を果たしたこと。

 

その場の空気、全員が共有しているものに、遠回しに切り込むと笑いが起きる。なんともざっくりだが、私が実際に体験して得た実感はこんなところだ。

笑いを取るというものはいい。お笑い芸人の方が、笑いを取るのに執着する気持ちもなんとなく分かる。その場のみんなが自分の発言に笑ったのは気持ちいい。

率直に「ウケたーーーーー!!」と内心思った。

話せば沈黙が自動的についてくるメンヘラの世界がまばゆくなった瞬間だった。

 

クソ鬱週間でPCを開くことも怠かった、ごろごろ布団とお友達になりながら、ゼミの前日の夜に作り上げ、当日に学校に行けたのはとても偉い‥‥‥と思う。クソ鬱週間でも、やることはやれると証明できた。

 

来週も緩くがんばろう。