メンヘラ備忘録

逆コナンのメンヘラが日々感じたことを綴っていきます。

幼稚園からやり直したい

こんばんは。メンヘラです。

書いてる途中にブラウザが勝手に閉じて、本文がお釈迦になるところだった‥‥

 

今日は激しく情緒不安定。

気合を入れてゼミの資料を予習するも、一言も発言できなかったり、一緒に帰った同級生に頓珍漢な受け答えをしたり、大学の窓口の相談時間を間違えていたりと、とちってはいたが、これだけではない。

 

少々脱線するが、私は非常に立場や能力の上下を気にする性質だ。頭のいい人や、偉い人にはがちがちに緊張する。反対に頭が悪そうな人には勝手な親近感を覚える。後輩には気安く接しやすい。

一見私にとって苦手なのはいわゆる「上」の人なのだが、「下」だと格付けした人が、実は自分よりデキる人―――「上」の人だった場合は、さらに苦手になってしまう。後輩がデキる人だったら特に。うかつに話しかけられなくなる。(そもそも話しかけることは少ないが‥‥)

自分より「下」の存在をつくることにより、自分がダメなやつでも大丈夫だと、現状を肯定したいのだ。なんと悲しい次元なんだろうか。なんと低レベルなんだろう。こんな自分なんて大嫌いだ。昔から。

ゼミの後輩がめきめき知識をつけて発言数も増えてきた。格付け癖のある私からすると、たまったものではない。おいおいキミもできない側の人間じゃなかったのか!??とめちゃくちゃ焦る。活動している最中に焦る。

 焦って内容に集中できない。後輩よりダメな先輩なんてそんなの、存在していいのか。もっと発言しないと。有意義な問題点を発見しないとダメだ……こんな考えにとらわれると、純粋な内容に集中できなくなってしまう。

周りが私よりできて、私ができないやつだって、ずっと前から分かっていて、その差に、劣等感が終わらない。

彼らは眼中にない。純粋に、学問を楽しんでいる。真剣に取り組んでいる。

いいなあ。私も真剣に何かに打ち込みたい。何かが長続きしたことはなくて、だからこそ自信がなくて、踏み出すには劣等感ととげとげの自意識が邪魔だ。いっつも邪魔だ。

‥‥‥とまあ、ゼミの後輩に焦りはあるが、彼が自信を持って発言しているのが嬉しい気持ちもある。置いていかないで欲しい気持ちと、後輩の成長が嬉しい気持ちはどっちも本当だ。

 

さて、本題はここからだ。

先程、上下を気にしていると書いた。ゼミには気遣いが素晴らしい素敵な男性の先輩がいる。人として尊敬しているし、勝手な親近感もあるが、私は立場も能力も上のその方と接するとがちがちに緊張してしまう。何か振ってくださっても、「はい」とか「そうですね」で終了だ。

その先輩は今日風邪を引いていて、声がからからだった。去り際にどうしても一言言いたくて、「お大事になさってください」と声をかけた。

先輩は、他の先輩方と談笑されていたのだが、ああ、私はそのときの顔が忘れられない。とても戸惑っていらっしゃった。困っていらっしゃった。雑談はやんで空気はしんと静まり返った一瞬。

声をかけるべきではなかったと察した。

もちろん、私の声が小さくて聞こえなかったとか、お話に夢中だったとか色々考えられる。でも、あの表情はきっと、

この数年間私は何をしていたんだろう。私の気持ちは全然伝わっていないんじゃないか、私はただお大事にと伝えたかっただけなのに、どうしてそれだけで戸惑われるのだろう。そこまで希薄な関係だったのが情けなくて、悔しくて、悔しかった。自分の気持ちを伝えるのをサボったからだ。

私は人と仲良くできない。仲良くしたい人と仲良くできない人生だと、悟った。

誰かを困らせたくなんてないのに!どうしてみんな困らせてしまうんだろう。

 

 

ああ神さま、どうか。私を幼稚園からやり直させてください。そこで人との距離感の正解を学んで、言ってもいい言葉と駄目な言葉とか、私を受け入れてくれる人間関係を経験させてください。

人に物を受け渡すとき、どう振舞えば分からないし、3人以上の会話には頭がついていかないし、自分に立てた約束も破ってばっか、人並みのお洒落も知らないで、自意識ばっかりが成長してしまった。

もう二十過ぎじゃ遅いよ。こんなエラーは修復不可能だよ。失敗が許される年じゃなくなってしまった。

私なんかどこにも行けない。